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*わたくし的 iモード・メモ帖データベース活用法(2003-05-15)

メモバンクと称するiモードメモ帖データベースは大変便利で、日に何度もアクセスします。
目的はおもに二つあり、1つは思いついたアイデアの記録で、もう1つは、本のデータの入力や参照です。
たとえば、新聞の広告で興味ある本があるとしますと、その場で携帯から入力しておきます。
タイトルは
本、2003-03-01マーフィー人生に勝利する
と入力します。
メモ内容欄は通常空白にします。2003-03-01は日付ですが、日付は入力しないことがほとんどです。
”マーフィー人生に勝利する”は買いたい本の題名です。

で、本屋にいって、検索画面で 
”本”
"03-01"
と入力します。あるいは”本”とだけ入力して検索することも結構多いですね。
検索結果は日付の降順で出てきますから、最近の入力データが先に出るというわけです。
これで、買いたいと思っていた本のタイトルを本屋で確認できるわけです。

あと、本屋で見つけた本が、もう既に購入済であって、積ん読状態なので家のどこかの本棚の隅に埋もれているのではないか、という恐れを常にもっていますので、最近では本を買うと必ず、メモ帖データベースに登録しておきます。

登録内容は、
たとえば、タイトルに
4-8379-0844-6 マーフィー人生に勝利する
と入力します。
メモ内容欄には
マーフィー人生に勝利する
と入力します。

4-8379-0844-6はISBN番号です。

購入した本のISBN番号を入力しておくというのは、重複買いを防ぐための予防線です。
つまり、ISBN番号が入力されていれば既に購入済、入力がなければまだ買ってない、というわけです。

ここまでは準備ですが、本屋で
”マーフィー100の成功法則”
という本を見かけて買おうかと思ったとします。
しかし、買う前に携帯を取り出し、メモ帖データベースにアクセスし、
”マーフィー”
をキーワードにして検索をかけます。

すると、
タイトル:4-8379-0844-6 マーフィー人生に勝利する
メモ内容:マーフィー人生に勝利する


というのは出てきますが、
”マーフィー100の成功法則”は出てきません。


あるいはもっと簡単に、
検索キーワードに”マーフィー100の成功法則”の背表紙に記載してあるISBN番号
4-8379-7172-5
の一部”7172”を入力します。
すると、データがありません、ということになり、

”マーフィー100の成功法則”はまだ買っていない、ということがわかり、安心してレジに持っていけることになります。

トレジャーストーンという、小学生の子供のために買っていた鉱物の実物サンプルと解説を内容とする刊行物がありますが、これにはメモ帖データベースはたいへん役に立ちました。
今は56巻くらいまで出ているのかもしれませんが、本屋で見かけるそのときに買っておかないと、次にいったときにはなくなっていたりして、欠番ができてしまうのです。かといって、
トレジャーストーン45
というのを見かけてももう購入済なのやら、まだなのやらわかりません。
そこで、携帯で、
ストーン
45
を2つのキーワードで検索して、結果を知る、ということになります。

今後携帯電話の機能がアップして、データ蓄積容量がアップしたとしても、大規模データベースそのものまで備えることはまず考えられませんから、当分のあいだは、iモード・メモ帖データベースは手放せないだろうと思います。
*悪夢(2003-03-05)

薬の投与日数を、従来14日だったのを28日にしてほしい、などと指定する患者が出ているようです。
14年の制度改定で、医療費を抑えるために再診料の逓減を導入したわけですが、
さりげなく撤廃された投与日数の制限が、受診抑制効果をあげてきていて、再診料の逓減以上に医療機関の収入を下げています。
これはよく考えると、医療機関にとって、今後とんでもない状況をもたらす可能性があります。 あからさまに受診抑制を目的としないで、規制緩和というような、一見見栄えのよい処置が大きな効果を生み出しています(ツボ発見です)
従来月2回受診していた患者が月1回どころか、2月に1回だけ、などと言うことになりかねません。
また、そんな患者の要望を断ることも難しいことですし、断れば他院に流れることにもなるでしょう。
慢性疾患で、月に複数回の受診があった場合はレセプトにコメントが必要、ということになるかもしれません。

そのような流れになってしまうようであれば、今後は、技術料を大幅にアップして、診察に要する時間を勘案したものにする必要が出てくるでしょう。
1日をたっぷり使って10人の患者を診察するだけで充分成り立つ、というようなものでなければなりません。大病院での3時間待ちの3分診療も解消されるでしょう。
株式会社の参入、混合診療の導入や国の補助を減らすために、医療保険でのカバーを減らしていき、民間保険の導入などを計画しているようですが、コストパフォーマンスが優れている日本の医療制度をなぜいじくりまわす必要があるのか理解に苦しみます。
医師会は保険医総辞退も出来ないでしょうし、どうしたらよいのでしょうか?

医療費に民間保険を使うようになったら、いっそ医師主導で相互保険会社をたくさん作って、その会社の保険しか使えないようにすることで、医師の医療に対する主導権を取り戻すことが出来るかもしれません。
無保険者は、すべて公費医療ということにすればよいでしょう。

受診抑制で、病気の進行、衛生指標の悪化、トータル医療コストの増大となります。
医療費も国民全体が支払わなければならない社会的コストですから、目先の支出を減らしても、結局は、別のところで費用が発生します。

*ハウステンボスの思い出(2003-02-28)

先日、佐世保のハウステンボスが会社更生法の適用を申請しました。
ハウステンボスの立地する場所は針尾島という島の南の一部で、現在のハウステンボス駅とを隔てる川のようなものは実は海です。
針尾島はその北部に「ニイタカヤマノボレ」で有名な3基の日本軍の無線塔があるところです。
現在ハウステンボスのあるところは、1970年代には工業団地の用地として造成されていた、雑草が所々に生えている荒地でしたが、工場はひとつとしてありませんでした。
当時その川のような細長い海にはかなり大きな弧状の古い木製の橋がかかっていて、夏にはその橋のたもとで子供たちが海水浴をしていました。
工業用地の西の端には、岸壁があり、100トンくらいの鉄の廃船が係留されていました。
そういえば、工業用地の対岸にはその当時からピストン、シリンダなど船の大きなエンジンの部品があちこちに転がっていました。エンジンの修理でもしていたのかもしれません。
短期間でしたが当時その近くに住んでいたので、木の橋を渡ってその荒地の中をバイクのスーパーカブで走り回っていました。
ときどき道ですれ違う、自分と同じ年頃の名も知らない美少女に心をときめかしたこともありました。
今でもそのころのことを時々夢に見ることがあります。
工業用地の奥を通って、針尾島の北西部にある西海橋にまで足をのばしたこともありました。
工業用地の奥にはマヤ文明のピラミッドを連想させる階段状に上がる黄色い土のむき出しになった崖がありました。
針尾島の北部は、終戦後外地からの引揚者が上陸したところであり、島の反対側にある南風崎駅(ハウステンボス駅の隣駅)から汽車に乗って故郷に帰っていったという思い出を持つ方も多かったようです。
またこの荒地の奥には、上陸後になくなった方々を慰霊するお堂のようなものもあったような記憶があります。

今から数年前、夏に家族でハウステンボスを訪れたことがあります。
ハウステンボスには昔の荒地の面影はどこにもなく、韓国や台湾からの観光客がたくさんいました。
前日に山口県にある我が家のお墓参りで草刈をしたので、我が家の子供たちは薮蚊に散々手足を刺されて皆あちこちが腫れ上がっていました。
韓国や台湾からの観光客が子供たちを指差して気の毒がってか、なにやら韓国語・中国語で騒いでいました。
それをみて子供たちも笑っていました。
いつか、今度は自分ひとりで行って何日か滞在し、少年のころの自分を思い出して見たいような気がします。


*医療制度改革の誤解(2002-09-20)

同時多発テロの日に、あるTBS系テレビキャスターが,
「ペンタゴンは6角形をしたアメリカ国防総省の建物で、、、、」と、したり顔で解説していました.
そのとき、このキャスターは2重の意味で常識がないと感じました.
まず、アメリカ国防総省の建物が5角形の特長あるものだというのは、ジャーナリストとして当然知っているはずのことでしょう。それを知らなかったわけです。
次にペンタゴンという英語は5角形という意味を当然知らないで6角形だと思っていたわけです.

新聞記者などのジャーナリストは、あらゆることに素人であり無知であるにもかかわらず、立場上一般市民に教えを垂れるような格好を続けているうちに自分が本当に社会を指導することができる、というような錯覚を抱いているのではないでしょうか?
国民の多くが無学文盲である状態ならいざ知らず、教育程度の高い日本国民の中で、ジャーナリストが昔言われたような社会の木鐸でありつづけられる訳がありません.新聞が木鐸でありつづけるどころか木鐸であったことなどない、と私は個人的に思います.
数年前は官僚が、<無知な国民を指導する>という意識をもっていることを非難されましたが、ジャーナリストはまだ自分の立場を自覚していないようです.
現在の医療制度改革に関して、私の読んでいる読売新聞の記事は話にならないほどひどいものです.
医療に携わる人々は専門家として、いいかげんな論調に対してはその都度反論する姿勢が必要ではないでしょうか?

先日、読売新聞に開業医の平均月収という記事が掲載されました。例によって、開業医の収入が経費抜きで掲載されるというひどいものでした。
おもわず投書しようと考えましたが、どうせ握りつぶされるのが落ちですので、新聞社にメールを出しました。

下記がそのメールの全文です。

「先日例によって開業医の平均月収とやらが掲載されたが、平均月収とは何のことか新聞記者はわかって書いているのか?
開業医は勤務医と異なり、自分のリスクで設備を用意し職員を雇用する事業を営む事業主である。
事業に伴う収入から費用を差し引いたものが収益になるが、費用を省いて事業に伴う収入 だけをことさら報道することがどういう意味なのかは、新聞記者自身もよく知っているはずだ。
会社の収入が幾らだということを支出抜きで論じても当然意味はないだろう。 それと同じ事をこと開業医に関してだけ、なぜ毎年掲載するのか、その真意を明らかにしてほしい。
国民は馬鹿ではない。
社会の木鐸を気取る新聞記者そのものが現在の社会では無用の存在になりつつあることをよく心すべきだ。あらゆる社会事象に対して素人であるはずの新聞記者が社会を指導するような気分でいるとはおこがましいことだ」

以上の文章は1年前に書いたものですが、医療制度の改悪はまだまだ続くようですし、ジャーナリストの<心得違い・勘違い>も続くと思いますので、掲載しました.
今日届いた日医ニュース14年9月20日号で、愛媛大学の石原先生は<日本の医療の実情>という記事で、
<国民は負担増の痛みの原因を医師に向けている。医療人が黙っているとますますこの誤解は国民の確信に変わるだろう。>と書いておられます.理不尽な政策・論調などに対しては、あらゆるメデイア・政府機関などに、その都度すべての医療関係者が抗議し正論を主張することがいま必要ではないでしょうか.


*住基ネット

住民基本台帳ネットワークが稼動し始めました。
地方自治体の一部に参加に反対しているところがありますが、
地方自治体は住民にID番号をつけて国のサーバーに一度でも接続してしまったら、それで国にとって地方自治体の役割は終わったも同然なのです。
地方自治体は単にデータ入力要員として働かされただけですが、今後はデータ変更の際のデータ更新作業要員としての業務を行うことになります。
プライマリーキーである国民のID番号が完成したら、あとは国の各機関にすでにあるその機関の独自のデータ表のデータとの結合のために同じ内容の外部キー項目やそれを含む新しいテーブルを作成することになります。

国は国民や地方自治体には住民の移動などでの便宜をいっているようですが、それは単なるおまけに過ぎません。
<求められた時に、すらっすらっと11桁の番号を書ける人は、どれくらいいるのでしょう。> というようなことを言う方がいますが、本質的な問題はそんなものではないでしょう。
国の各種事務にはすでに膨大なデータが蓄積されていますから、今後その中のデータテーブルやテーブルに新たに住基ネットによる国民ID項目を新設し、他の情報とのリレーションをつけるための準備作業を行うことになります。

たとえば免許証には免許証番号がありますが、警察のデータには免許証番号と一対一対応する住民IDが入力されるでしょう。
しかし、今後も免許証に住民IDを表示することはないでしょう。
内部で結合が成立していれば十分だからです。
免許証は従来身分証明書として使用されていましたが、今後はたとえば免許証の提示が必要なような何らかの行為はすべて個人情報として蓄積され、国に一元的に管理される(よくも悪しくも)という自覚が必要になるでしょう。
住基ネットを利用できる国の機関や事務をパスポートの発給や不動産の登記、自動車の登録などの171事務から新たに264に拡大しようとされているようです。
政府はサーバーがどこにあるかを明らかにしませんが、IDが統一されること自体が重要で、どこにあろうとサーバーが分散されていようと無関係です。
データの結合で一見無関係そうにみえる情報が何の労力も必要なく、(政府機関の中枢では)一目瞭然に表示される時代がきます。
ハリウッド映画で、クラッキングを行ってコンピュータに侵入し、探している人物の顔写真や履歴から何からのデータがモニターに出てくる場面が出てきますが、政府内ではこれがまさに可能になるということです。
もし政府のシステムに侵入できれば探偵・調査業などの一部の調査分野では出歩いて調査することが不要になるかもしれません。 現にアメリカの探偵はそのようです。
政府のシステムを構築した企業は、自分用の特別の秘密のアクセス権限を作っておく誘惑に駆られたことでしょう。
住基ネットでゆくゆく結合されて構築されるデータベースは宝の山です。
今後、そのデータベースに不正にアクセスしてデータを得るとか、特定のデータを削除するとかの不正行為が盛んに行われるようになるでしょう。
行政機関の一定の地位にあった人間が、アクセスする権限やアクセス方法を持ったまま退職してそれを元に新たに秘密のビジネスとするようなことも考えられます。
社会生活上、自己の匿名性をいかに保って生活することができるか。これが今後各個人の課題になるのではないでしょうか。


*ツボはどこに?

橋本元首相が急性僧坊弁閉鎖不全で入院したそうですが、これはおそらく心筋梗塞が原因でしょう。
心筋梗塞では政治生命が危うくなるというような政治判断が働いたのでしょうか、 腱索の断裂の原因については触れずじまいのようです。
1回首相を務めたらあとは生命だけが大事で政治生命などどうでもいいのではないかと思うのですがどうでしょう。

それにしても、期待の小泉首相も支持率が下がりジリ貧のようです。
もともと小泉さんは改革が必要だといいながら、どこをどのように改革すればいいいのかがわかっていなかったのではないかと今となれば思います。
その証拠に医療保険制度を患者自己負担を増加するというような方向で行うことを固執していました。
医療保険制度のように現在うまくいっている制度を変更しようとすること自体が間違いであり、さらにその改革の方法でも間違いを犯していて2重に間違いを犯しているのではないかと思います。
まず、健保財政が破綻している原因は、税金の投入が少ない、企業などの保険料率が低い、患者負担が少ないなど原因はあるでしょうが、もともと国・企業の負担が少ないのが問題なのですから、そちらの方で解決すべきでしょう。
患者負担を増加させるのであれば現在の不況は個人消費が縮小しているのが原因ですから、個人消費をますます縮小させることになるのは明らかです。
物事を変えていくには何事にも<ツボ>を押さえるのが肝要ですが、ツボを探り当てる前に、どこが問題かという認識と、思うような方向に物事を持っていくのに1箇所の肝心なツボはどこかを探り当てるということが必要で、それさえわかればいろいろなことをする必要はないのです。
どこが問題なのかということがわからないままではツボどころか改革のしようもありません。
いつまでたっても具体的な改革の方策が出てこないことがわかって、われわれ庶民の期待もしぼみつつあるということでしょう。

私が首相だとしますと、どうするでしょう?
新規公共事業を中止し、教育・社会福祉関連以外の支出をストップします(それ以外はもともと不要ですから)
さらに所得税・相続税を増税し、失業手当は10年間支給、個人の預金は死ぬときは国庫に収めます。
贈与税は当然50%以上にします。
年金は現在の2倍を50才から支給します。
これで将来の不安がなくなり、金を持っていてもしょうがないのでじゃんじゃん消費するようになります。
そうなると刹那的になり日本人は滅亡するかも。
大事なことを忘れていました。子供の数に応じて所得税率を減らします。
子供4人以上は所得税0で、5人以上はさらに働かなくとも児童手当だけで生活できます。
当然独身者・子供のいない夫婦には増税します。自分の老後を他人の子供に頼ることがマチガイですから。


*寒国九州

2月末に九州に行ってきました。
印象は’九州は寒い国だ’ということです。
北海道の人が冬に本州などを訪れると、まず例外なく、あちらは暖かかったという感想ではなく、 ’とても寒かった’ということになります。
九州は確かに昼間は暖かいです。ですが、夜はやはり裸ではいられないほど寒いです。
夜の屋内は外の気温と大して変わらないので局所的に暖房を補助的に使うのですが、この部分暖房生活スタイルが北海道の人間には堪りません。
九州ではトイレで震え、風呂に入るのに寒さを我慢し、寝るときに冷たい布団にもぐりこんで足をばたばたさせて温まろうとしなければなりません。もちろん九州では屋内でも厚着をしています。
北海道では昼間は外部は寒いのは事実ですが、裸で出歩いているわけではないので、外で寒さを感じることはありません。
夜は昼間よりもっと寒くなりますが、屋内は家中が夏の温度に設定されていますので、昼も夜も通常裸に近い格好で生活しています。
ですからおとうさんは裸に近い姿でソファの上でテレビを見ながらビールをのみ、子供はやはり半ズボンに半袖Tシャツで食後にアイスを食べているというのが夏も冬も変わりない生活スタイルです。
家の中でトイレに行くとすごく寒いとか、風呂場の脱衣所が寒いとか局所的に暖房されていないということがありませんので、コタツや電気毛布などの局所で使用する暖房器具は邪魔なだけで基本的に北海道では使いません。
私は九州生まれですが、今思うと九州の冬はやはり寒くて震えていた思い出がたくさんあります。
一方北海道で寒くて震えたという記憶はまったくないのです。
不思議なことですね。
九州の人が, ’よく北海道のような寒いところに住んでいますね’、というと、私は’よく戸外と同じ気温の家に住んでいますね’といいたくなってうずうずします。’
公平にいえば夏の暑さではちょうどこれと反対のことが言えます。 つまり本州や九州の人が夏に北海道にきて、北海道は暑かった、と感じることがあります。
北海道では夏は大して暑くないことが多いので、自宅でクーラーをガンガン効かせるということはありません。
事実私の家にはクーラーはありません。
九州の人が夏の暑さを我慢できないのでクーラーで対抗するように、北海道では冬の寒さを我慢できないので徹底的に暖房して寒さを排除します。そのかわり夏は少々暑くても短期間のことなのでたいして気にしていないのです。
これは断熱材の使い方や、中途半端な気温・気候に対する文化的な対処の仕方の差によるものだろうと思います。
そしてこのような文化的な違いというのはかなり長い時間がたたないと平均化されないのではないかと思います。

*インターナショナルめぞん一刻

めぞん一刻の海外のホームページをみるととても面白いです。
大体、特定の漫画に関するホームページが作られているということ自体が不思議なことですが、国境を越えたファンの熱い思いがよくわかります。

オフィスでさぼって漫画を読み、
「五代がダウンした響子さんの父親を背負って帰る途中、プロポーズする場面で思わず目がウルウルになってしまった。私は普段何かを読んで泣くなどはめったにないのだが、、、。」 などと書いているおっさんもいます。
何国のなんと言う人かは知らないがあなたは私の友人だ。

そうかと思うと、「一の瀬のおばさんは、宴会になるとJapanese Fanをもって踊り狂うが、どこに行くのもJapanese Fanを持参しているのだろうか」という素朴な疑問をもった人もいます。 駅のホームででも宴会をはじめてしまう一刻館の住人ですから、どこでも道具を取り出せるのなら、常に携帯してなければならない理屈です。 日本人の読者なら普通考えもしない疑問が感覚の違いを浮き出させるようです。髪の毛の上に描かれた汗の1滴が、あせっている心理を表すというような漫画的記号のとらえ方のように、Japanese Fanも宴会真っ最中という意味の記号だろうと思いますが、Japanese Fanという特殊な道具によって感じ方が狂わされたのかもしれません。

歴史にIFはないように、漫画にもIFがあろうはずはありませんが、響子が三鷹のプロポーズの返事の場所で眠り込まなかったら、果たして三鷹のプロポーズにOKしただろうかと言う疑問をぶつける人もいます。

私はといえば五代・三鷹のバトルよりも五代をめぐる響子・八神いぶきのバトルに興味があります。
なぜ響子は八神いぶきと同じレベルで争うのか。
それから、五代はなぜ八神いぶきに乗り換えてしまわないのかという疑問(漫画にIFがあるはずないのに)からいまだに逃れられません。 五代を悩ます惣一郎の亡霊を断ち切るには、五代は響子の過去の姿である八神いぶきにもっと目を向けるべきではないのか?
そこから、響子は八神いぶきが過去の響子の姿であることを五代が悟ってしまうのを恐れ、その結果、五代が離れていく、ことを恐れているのではないか、、。というのが、なぜ響子は八神いぶきと同じレベルで争うのかという疑問に対する私の結論です。

響子は三鷹に、五代は八神と、という組み合わせで愛情の効率的分配が可能なのではないか、と思うのですがいかがでしょう。
おそらく、五代は年上のお姉さんにしか興味がないということが最大の問題なのでしょう。
はたから見れば五代は響子に管理され抑圧されているのがはっきりしているのに、五代はそれを苦にしているどころかあたりまえのこととして受け入れているのです。
五代は精神病理学的な分析が必要な男かも知れません。

最近、私は、一刻館の問題住人、一の瀬、四谷、朱美の3人が本当にまじめな表情をしている場面を見つけてしまいました。
それは五代と響子が「できちゃってる」ところを見破られたすぐ後の場面で、一の瀬はやさしく、「ばかだね。からかったりしないから安心おし」といい、四谷は「よかったですね」、朱美は「遅すぎたくらいよ」といって、このときばかりは一の瀬はやさしく慈愛に満ちた目になり、四谷は見たこともないくらいに凛々しくまじめな表情で、朱美はまるで響子さんそっくりの好感美女顔になっているのです。
興味がおありの方は一度ご覧ください。


*大正平成ホームレス記

「ホームレス作家」をよんで、つい先頃読んだ足立巻一著「虹滅記」を思い出しました。
「虹滅記」の著者は幼くして父に死に別れ、若い母は再婚したために祖父母に引き取られて暮らしていたのですが、祖母が死んだため、生活無能力の漢学者である祖父敬亭はついに孫を連れたホームレスとなってしまいます。 祖父敬亭は九歳の巻一少年をつれ友人知人のうちを巡り歩いてその日の糧を得ようとします。
幼い孫の手を引き、ある雪の日には自分の大きな黒いマントの中に孫を入れて歩き続けました。
「虹滅記」ではホームレス時代の出来事はごく簡単に記述してありますが、それだけに人の心を打つものがあります。
それは大正九年から1年弱の間のことでしたが、屋台の牛丼屋で食事にありつき、木賃宿を探しては断られたりしています。

平成時代のホームレス作家は、家庭内に抱える問題のために思いがけずホームレス状態になってしまいますが、幼い娘と身重の妻は福祉の世話になって、本人だけがホームレス生活を始めることになってしまいます。
現代における作家の置かれている経済的環境や印税のことなども知ることもできるのですが、興味深いことにここでもホームレス生活では安い牛丼が毎日のおもな食事になります。 そしてやはり毎日歩きつづけることが生活のほとんどすべてになっています。

幸いなことに幼い孫を連れた敬亭のホームレス生活は1年もしないうちに終わり、故郷長崎で定住することが出来ましたが、ほっとするまもなく祖父敬亭は銭湯の湯船の中で巻一少年の目の前で急死してしまいます。

平成のホームレス作家は現在ホームレス生活から抜け出すことに成功したそうですが、まだ妻子といっしょに暮らすことはできないようです。

一日も早く家族そろった平穏な生活の戻らんことを。


*スピード測定器はパトカーに内臓されている

15年ぶりにスピード違反で捕まりました。
場所は石狩川が石狩湾に注ぐ河口の程近く,石狩市の生振(おやふる)という牧歌的なところで、私が日ごろ好きな場所でよくドライブします。(しかし、私が本当に大好きなドライブのエリアは別にあります)
つかまって以来ほとんど車には乗っていません。
そのときはちょっと38Kmのオーバーでした。スピード測定器はパトカーに内臓されているらしく、もはや道路わきにおいてあるアンテナを察知してスピードを落とすなどというのは時代遅れだということを知りました。
パトカーが前方に止まっているのが見えるとそこでアウトです。
呼び出された役所の地下の待合室には

@警察の窓口
A検察庁の窓口
B裁判所の窓口があり、順に呼び出されることになっています。

@ABの順に処理が遅くなります。
男女比は男が50人いるとすると女は5人といった具合です。やはり女性はえらい。
内心に怒りが抑圧された人々の集団ですから、集まっている人は皆一言もしゃべりません。
腕組みをしたり、天井をにらんだりしてじっと座っています。窓口の事務員に今日は金がなくて払えないといっている若い男性もいました。
窓口に呼び出されては、受付に戻りしているうちに、最後の段階の罰金の支払いには4,5人まとまって呼ばれます。
窓口で自分の番がくると、窓口の女性に、
「お待たせしました。今日は6万円になりました」 といわれました。これが判決の言い渡しです。スピード違反の罰金の最高額が10万円なので、10万円持参するようにとあらかじめいわれていたのですこしほっとしました。

それにしても<今日は6万円になりました>といわれて思わず心の中で笑ってしまいました。
今日は、私が貢がされたのか、国が稼いだのか、まるで今日1日国家経営の飯場で働かされたあげく、6万円稼いだのをそっくりそのままいただきますよといわれたような感じです。
取り締まられ人口年間1300万人といいますから、毎月100万人以上、1日あたり4万人弱がこうして地域ごと一堂に会しているのかと思うと感無量です。判決の後には別組織からの行政処分も待っています。
しかし私はスピード違反を素直に反省し、これを機会にドライブするのを止めて自転車専門に切り替えようかなと思いました。ドライブは好きですが、本当に走りたい場所でなければ、ストレスがたまるだけなのに気がついたからです。


*ツーキニストの旅

東急ハンズで壁に架けられている自転車を眺めていると、ツーキニスト仕様という自転車がありました。
はてツーキニストって何だろうか、サイクル業界用語かなと思って説明を読みますと、こう書いてあります。
「首都圏を中心に自宅から職場まで10Kmから20Km程度の距離を30分から1時間かけて自転車で通勤する人が増えていて、それらの人々は自転車に対してある種のこだわりを持っている。そういう人たちをツーキニストといって、通勤のためのいくつかの装備をTREKの自転車につけたものがツーキニスト仕様」というわけでした。
さては「シロガネーゼ」なんかに類似した愚劣な造語かとはいちおう思いましたが、実は私も片道8Kmの距離を自転車で通勤している「ツーキニスト」なのでした。1年前からですが、冬は積雪を自転車でラッセルするのもつらいので車になります。(それに雨の日・寒い日も)
いまのっている自転車がロードレーサータイプなので、雨の日は滑りやすいこともあり、ちょうど値段も手ごろでいいやと考えてその場で買ってしまいました。

ツーキニストは自転車に対してある種のこだわりを持っているということのようですが、私の場合は
@ママチャリはいや
A軽くて片手で持って階段を上り降りできる
B変速機は16段以上
という程度のものです。それからもう一つ、できれば荷物を積めることが必要ですが、最近のママチャリ以外の街乗り用自転車は基本的に荷物はリュックで背中に担ぐ、という前提があるようで、自転車に荷物を載せるのは並大抵のことでは出来ないようになっています。私は肩凝りするのでリュックはいやなのです。 いままでは自転車のフレームが変則的な形をしていたので、何とかかばんをフレームの上に固定できたのでよかったのですが、今度の自転車はそうもいきません。荷台がツーキニスト仕様の一部として付属していますが、とても本格的に鞄なんかをつめるような代物ではありません。
ツーキニスト仕様に実際に乗ってみると、ハンドルがぐっと下にあって、なんだか乗るだけで肩凝りがしそうな気がしました。

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